建物の歴史

小城鍋島家Ten

「西小路鍋島家」
西小路鍋島家は小城藩主の一族です。小城藩2代藩主鍋島直脳の次男元敦(もとあつ)を初代とし、柳生新陰流を幕末まで伝えてきました。

幕末の小城藩着到帳では、石高300石を有し「親類」「床机替」と称されていました。江戸時代の鍋島家屋敷は現在の西小路239番地(ワタキュー敷地)にありました。明治になり、現在の208番地(江戸時代は関市之進屋敷・石高73石)に移っています。